2015/12/22

美しいポーランドキリムのルーツを探して


古いキリムに出会いました。

私にこれを売ってくれた人は、1930年代のクラクフのキリムだと言っていました。

1800年代後半から1900年代にかけて、ポーランドにはジャガード織機をはじめとする手織りの中規模の工房がたくさんありました。でもクラクフにこのような織物を作っていた工房があったとは、初耳でした。それに何年もポーランドの民芸に携わっていて、あまり見かけたことのないキリムでした。

気になったら調べてみるが私の鉄則。さて、この織物はいつの時代に誰が作ったものなのでしょうか。

ヒントは、クラクフの1930年代のということ。



そして気になったのは、この柄。いまも民芸品の模様などにみられるような、山岳地方のエスニシティを強く感じました。



そしてポズナンの国立美術館所蔵の18世紀~20世紀のポーランドキリムなる今は廃盤の本を手に入れ、調べてみると、ヒット!



これは、どうやら1886年から戦後にかけて、当時ポーランド(現在ウクライナ)のグリニアネというところの工房で作られたキリムだということがわかりました。



1930年代のクラクフといえば、ポーランド第二共和国時代。戦前でまだ国境がいまのように西に動く前で、リヴィウをはじめとする西側のウクライナがポーランドの土地でした。現在のクラクフがあるマウォポルスカ県は、クラクフがある西マウォポスルカとリヴィウがある東マウォポルスカに分けられていました。私にこの織物を売ってくれた人がクラクフの織物だと思っていたのもそのためかと思われます。

当時グリニアネの織物は大変人気があり、1900年代初めには、アメリカやブラジルにも輸出されていました。また1900年のパリ万博にも出展されています。



各地からの注文にこたえるため、様々なパターンがデザインされました。その中でも、山岳地帯のそばにあったグリニアネの特徴として、ザコパネやフツル、ブコヴィナ、ポドハレなど様々な山岳民族の伝統的な文様がデザインに活かされました。また当時のアールデコの流れもデザインの中からみてとれます。

1945年に戦争がおわり、国境が再び西に動いた時にはこのポーランドの工房はなくなってしまったようです。

こんな織物にもポーランドのたどってきた時代の爪痕があったなんて考えもしませんでした。

この伝統的なキリムが今日も多くの人の記憶に残っていないのは、ポーランドの民芸全盛期だった1950年代~1980年代にはすでにもうポーランドの土地のものではなくなっていたからなのです。当時様々な民芸品をあつかっていたCepeliaでさえ、取り扱いをしていなかったものでした。
それでもパリの万博にポーランドの芸術品として出品され、大きな評価をうけ、世界中に販売されていた織物が、激しい時代の流れに翻弄されなくなってしまったというのは、大変悲しいことです。



ただ、今もこの土地のウクライナの人たちが織物の伝統を引き継いでいるとのこと。いつか、行ってみたいなぁと1930年に織られたキリムをみて思ったのでした。















≪ヤノフ村の織物展@徳島東雲≫
明日12月19日(土)から徳島の東雲さんでヤノフ村の織物展が始まっています。昨年お世話になったレテンカさんの階下の店舗です。10月から始まった今回の巡回展は、浅草、仙台でも大変好評をいただき、いままでにないお客様のお越しになっています。
ヤノフ村では、追加の織物を織る機の音がどこの工房からも鳴り響いています。今回もヤノフ村から新作が届く予定なので、合わせてごらんくださいませ。四国の方、関西の方のお越しをお待ちしております。
2015年12月19日(土)~2016年1月11日(日)
徳島市末広4丁目8番43号1F
Tel 088-612-8828
Open 12:00~19:00
定休日 木
Web http://note.sinono.me
Mail life@sinono.me
FB www.facebook.com/sinonomestore
年末31日18:00まで営業
新年は元旦より営業(18:00まで)


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