クラクフのバベル城の南には、クラクフ旧市街とは又すこし趣きの違った地区があります。ここ、カジミエーシュ地区は、14世紀にたてられ、一時期はヨーロッパ中のユダヤ人達が暮らしていた地区です。
当時ヨーロッパ各地で迫害を受けていたユダヤ人達ですが、その商人や銀行家、法律家としての才能に目をつけた、ポーランドの王カジミエーシュ3世が、クラクフの繁栄のため、街の外れの南の地区にユダヤ人の為の街を作ります。その後街は、いくつかの紆余曲折を経ますが、カジミエーシュ地区のユダヤ人人口は増え続けます。多くのシナゴグ(ユダヤ教の教会)やユダヤ人の為の学校、コミュニティセンターなどが建てられました。
しかし、1939年から始まったのナチスの占領時代に、全ての建物や文化遺産は破壊,没収され、人々も強制収容所へと送られました。街は廃墟となります。戦争が終わった後も、この悲しい歴史の街に帰ってくるユダヤ人たちはほとんどいませんでした。
カジミエーシュ地区は、近年まで、戦時中の傷跡が残る、クラクフの中でもさびれた、治安の悪い地域とされていましたが、共産主義の終焉とともに、この地区の再興が行われ、弾痕の残ったシナゴグは修復され、再びその役割を取り戻し、又はギャラリーとして生まれ変わりました。
Old synagogue: ポーランドに現存するシナゴグの中では最も古いシナゴグ。戦時中破壊されたが、現在は修復され、博物館となっている。前回紹介したマルタさんの切り絵もここで見ることができる。
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