先日田舎の家に行ったときのこと。夫の母がこんなものを引き出しの中から見つけたと言って見せてくれたのは、夫の今は亡きおじいさんのパスポート。1905年・リヴィウ生まれ。
リヴィウは現在のポーランド国境から70km程東にあるウクライナの第2の都市。
歴史上では、長年ポーランド大国の都市であり、その後1772年のポーランド分割の際オーストリア帝国に帰属、第一次大戦後1918年には西ウクライナ人民共和国の首都になりますが、その後1919年ポーランド人住民が蜂起をおこしポーランド軍が奪還。1939年から始まった第二次大戦時はナチスの支配下に落ち、大戦後はウクライナ・ソビエト社会主義共和国の領土とされ、ソビエト崩壊とともに現ウクライナの都市となる今に至る、人も土地も激動の歴史に翻弄され続けてきた街。
そんな街でオーストリア・ウィーンからの移民として渡ってきた家族のもとに1905年(当時はオーストリア帝国の支配下)に生まれたのが、夫の祖父でした。
パスポートの国籍はポーランド。前述にもあるように1919年(祖父当時14才)にはリヴィウは再びポーランド領となり、祖父はポーランドの学校に行きポーランド語を話し、ポーランド人として育てられたようです。第二次大戦中ナチスからポーランドでの労働命令が出、家族は事実上リヴィウ立退きを余儀なくされ、クラクフに移り住みました。
国とは、国籍とは、アイデンティティとは何かと考えさせられます。国境が東に西に動いたポーランドの歴史をそのまま痛感する人生を送った祖父の面影をリヴィウに訪ねました。
リヴィウではどうやら相当の財産持ちであったらしい祖父家族。義母に住んでいた家の住所をたずねてみたところ、4本も道の名前が出てきました。しかも名前が素敵でポーランド語で(おとぎ話通り)、(きゅうり通り)、(ふうせん通り)、(17世紀ロシアに攻めいったポーランドの英雄通り)などなど笑。
義母も家族も、一度も訪れたことがないとのこと。行って、祖父の生家が今どうなっているか報告しますと約束しました。
実はこの通りの名前、リヴィウがポーランド国であった当時のものであり、今は全く違うウクライナ語の名前になっています。そこで活用したのが、(上)の1925年当時のポーランド語の地図。リヴィウ中心部の入り組んだ細かい道一つ一つから、探し出しました<おとぎ話>に<きゅうり>に<ふうせん>に<英雄道り>。後は注意深く今の地図と照らし合わせ、現在の道の名前を突き止めました
ちなみに面白かったのは当時ポーランドの英雄の名前が付いていた通りは、現在はウクライナ史上最大の英雄とされる人物の名前が冠されていました笑。国が変われば、もちろん英雄も変わります。
前置きが長くなりましたが、クラクフから夜行列車にのっていざリヴィウに出発
22:40発、翌朝6:03リヴィウ着。寝台夜行ですが国境付近でポーランド、ウクライナの旅券審査がありおちおち寝てもいられません・・
22:40発、翌朝6:03リヴィウ着。寝台夜行ですが国境付近でポーランド、ウクライナの旅券審査がありおちおち寝てもいられません・・
オペラハウス
リヴィウ、早朝の駅周辺は若干雰囲気が悪かったですが、旧市街は東方正教会やカソリック、アルメニア教会、ユダヤシナゴグなどの宗教施設、美術館やオペラハウスなど文化施設も多くあり他のヨーロッパの都市とも引けをとらない美しい街です。街のあちこちには、クラフトマーケットが出ていてピサンキや刺繍などもたくさん売っていました。
~お知らせ~
<ポーランド切り絵の世界展>鹿児島での開催はいよいよ明日までです!お近くの方はぜひ。
■■ 鹿児島展 ■■
【会期】2011年4月15日(金)~5月5日(木)
【会場】 鹿児島 Good Neighbors
http://
〒892-0823 鹿児島県鹿児島市住吉町7-1
Tel:099-801-8114
【時間】11:00~19:00
【定休】火曜日・第2第4水曜日
(ゴールデンウィーク期間中は休まず営業します)
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初めてコメントします。
返信削除国とは、国籍とは、アイデンティティとは とは 深い問題ですね。
日本にとっては、「外国」というのは文字通り「海外」なので日本に生まれ先祖も皆日本人の私にとっては、ポーランド人の夫の祖父母の故郷が何処だとか、父方の誰々はこの国の血が流れていて、母方の誰々は何人だった などと聞くと、不思議な気分になったのを覚えています。
YURATAさん
返信削除はじめまして。コメントありがとうございます!
大陸続きのヨーロッパの国々の近代までの歴史は、戦争の歴史であり、そのたびにどの国も国境が西に東にと動いてきたんですよね。人も又その度に他国と交わり、行き来をくりかえしてきたのだと思います。それ故に今のヨーロッパ人は日本人(もしくはアジア人)よりも、他国人、国境というものについて敷居が低く(色々と問題はありますが!)EUとして
共に歩んでいるのでしょうね。